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Channel: 東風戦メンバー戦記
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106「木を見て森を見ず」

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オーラスを迎えてトップの西家と2400点差の南家。序盤にあっさりこんな手牌になった。
三四④④⑤⑤⑥⑦⑧⑧⑨赤567

メンピン赤の3900は欲しい。この形、私は以前検証したことがあって覚えていた。
※⑧切りが最も聴牌チャンスが広いのは明白なのだが、※③‐※⑥引きだけは即リーチができない。
※③‐※⑥を除いた聴牌チャンスは21枚である。
ちなみに※⑨切りでも21枚。
タンピンならダマに出来るのだが、※⑨切りは聴牌を逸する受けがある。

というわけで、私は※④を切った。
三四④⑤⑤⑥⑦⑧⑧⑨赤567

これならば※二※五※③※⑤※⑥※⑦※⑧の22枚で両面聴牌が望める。※⑨切りではペン※⑦引きを受け損なうのだ。
鳴きを念頭に置かず、即リーチを視野に入れて打つならばこの形が良いだろう。

木を見て森を見ず、という言葉がある。1本1本の木にとらわれて、森全体のことを見ないこと、つまりは瑣末なことにこだわって、物事の本質を捉えられないことをいう。

先日島根の実家に帰った折に、安来市にある足立美術館を訪れた。
足立美術館は館内に美しい庭園があることで有名な美術館であり、米国の日本庭園専門誌では、6年連続全国1位に輝いているという。
地元に住んでいるときはついぞ足を運ぶことはなかったのだが、離れて過ごしてみればその評判の高さに驚いたものである。

入り口を抜け、通路の角を曲がって飛び込んできた風景に息を呑む。壁面いっぱいのガラスを額縁として、見たことのないスケールの枯山水の庭園が、まるで絵画のように広がっていた。
この庭園の大きな特徴は、美術館の外、自然の森や切り立った崖といった風景までも、庭園の延長として全体の美しさの調和に一役買っているということである。
園内の木々や白砂の細かい部分に手入れの行き届いているのはもちろんなのだが、そういった一つ一つの庭園の要素が重要なのではない。我々が見て感動を抱くのは、館内という枠を越えて広がる、緑あふれる景色全体なのである。

三四④⑤⑤⑥⑦⑧⑧⑨赤567

この形、差は1枚だが巧く打ったはずだ。私はそんなことを考えながら一人悦に入っていた。
そこへ対面の北家からリーチが入る。同巡、上家の親が※⑧をツモ切った。しまった――。
供託のリーチ棒さえ出てしまえば、食い仕掛けの2000点で事足りる。だいたい500・1000ツモか2000点の直撃でもいいのだから、もとよりクイタンを見るのは当然であろう。
三四④④⑤⑤⑥⑦⑧⑧赤567

※⑨切りのこの形ならば自在に仕掛けられた。受け入れ枚数の瑣末な部分に気を取られて、肝心の大局観を見失っていたのである。
各種牌姿に対する枚数的有利を知識として知っているのは、もちろん重要だ。
しかし、細かい要素が折り重なって展開が変遷する局面の多い麻雀というゲームにおいて、より必要なのは全体を見据えることなのである。

足立美術館の庭園は、四季折々で様々な美しい姿を見せる。その自然を織り込んだ造形美を生む大きな要因は、秋を彩る紅葉や冬を染める銀雪であり、それが風景の全体を包んで調和しているのだ。
1本の木だけに目をやっては決して生まれない感動が、確かにそこにあった。


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