私たちは、普段麻雀をしていて迷う局面というのがあまりない。
だいたい与えられた状況というものはパターン化しているもので、極端に変わった打ち方とか奇を衒った打牌をする必要はない。私たちは日々、粛々と打ち続けるだけなのだ。
ただ、時に悩む局面を与えられないと、柔軟な発想というものは手に入れられないかもしれない。和了りにかける自由な構想を作り出すのは、惰性の毎日ではなく疑問の機会なのである。
二四六七122579④赤⑤白中
ある日、こんな序盤の形から、役牌を抱えて※1を切ってしまっていた。
これがツモ※二、※3、※8、※3と来てこうなった。
二二六七22335789④赤⑤ ドラ二
どうしても和了りたい満貫手なのだが、最初に※1を切っている。では――、どう打てば良いのだろうか。
以前、親戚の高校生の子がこんな質問をしてきたことがある。
「水の沸点って100℃でしょう。どうしてそんなに覚えやすい数字なの?例えばエタノールの沸点は78℃とか、他の物質は半端なのに」
私はそれを聞いたとき、逆に不思議な気分になった。確かに、知らない人は知らないことだが、知っている人にとっては質問の内容自体が妙な話なのである。
彼は、普通の高校で勉強しているごく真っ当な学生だ。勉強が出来ないというわけではない。
うちの同僚何人かに、興味本位で同じ質問をしてみた。
「どうして水の沸点は100℃なのか」
すると意外にも、何人かは言葉に詰まる。
なるほど確かに、多くの者はその疑問すら抱かないのかもしれない。当たり前のように身の回りで成立している事象に、難癖をつけろという方が無理があるだろう。
それでも疑問に行き着いた以上は、後は柔軟な発想を以って取り組みさえすれば自ずと道は開ける。悩む局面に出会うことは、発想の機会を与えられた幸運なのである。
私はこの牌姿、唯一の面子を壊すことが柔軟な発想だと思った。
二二六七2233578④赤⑤ ドラ二
打※9である。※1がフリテンなら、※2や※3、※4や※6も鳴いていった方が早い。となれば、タンヤオで4面子を構想すれば※9は不要なのである。
もちろん適当に※5あたりを抜いて、フリテンの※1-※4ツモや※2※3引きを期待することも出来るのだが、もう中盤であり、実際萬子や筒子も鳴いて行った方が良い。
これは門前派とか仕掛け派とか関係なしに、打※9が和了りにかけるなら優れていると思う。
※9の枷を外した私は、そこから悠々と副露に走り、和了りの解答を得たのである。
二二六七 222(ポン) 435(チー) ⑥④赤⑤(チー) ツモ八 ドラ二
もともと、温度の指標そのものが、水を基準として出来たのである。
水の凝固点を0℃、水の沸点を100℃として摂氏温度は決められている。
柔軟な発想で問題に向かえば、万物の尺度には自然科学的な根拠があること、そういった興味深い本質まで手が届くのである。
高校生の彼には、答えを教えなかった。自分が疑問を持てること、それは大切な成長の機会なのである。
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104「発想の機会」
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