以前、常連の男性に連れ合いのママさんがいて、よく一緒に打ちに来ていた。
ママさんはたまに旦那の交代で打つくらいで、普段は後ろで楽しそうに麻雀を眺めていた。
いつも穏やかで控え目な様子の人で、よく我々従業員にご飯を作ってきてくれたりして、細やかな気遣いの利く人であった。
一一⑤⑤⑥⑥⑦4赤5668発発 ドラ5
あるとき私はこんな牌姿。
下家にはその旦那さんがいて、後ろでママさんは観戦中である。
私は※8を切って、※発のポンテンと七対子の天秤に受けた。
一一⑤⑤⑥⑥⑦4赤566発発 ドラ5
場に※6が1枚出ていて※7に色気もあったのだが、自然な形はこうだろう。
案の定、次巡すぐツモって来たのは、※7。極力平静を装いながらそのまま河に投げる。
「乱暴ねえ――」
後ろ見をしていたママさんが、ふとつぶやいた。
何が乱暴だったんだろう?カン※7を取り損ねたことか?
それとも指先にシクリの熱さがにじんでいたのだろうか?
そのとき確かに違和感があった。惰性の日々に対する慣れが、配慮に欠ける打牌を生んでいる気がした。
麻雀における細やかな気遣いというものを――、私はおろそかにしてはいないだろうか。
そういえば、これは実家にいた頃の話なのだが、トイレを使った後、よく姉に怒られた。
その内容は、こういうことだ。
「どうして男の人は、便座を“戻して”おかないの?」
私にとってはそれはひどく不可解な文句であった。
いやいや便座ってのは上がってるものじゃないの?
むしろ下がっていると面倒臭いと思うんだけど。
しかし考えてみれば、女性にとっては便座は下りているのが当たり前の話で、姉の言い分もなんとなく理解はしていた。
ともあれ、それぞれが上げたり下げたりすれば済むことだと思っていた。
しかしこのママさんがトイレを使った後に入ると、いつも便座が上がっているのである。最初のうちは意識しなかったのだが、姉の小言を思い出して、やっと気がついた。
このママさんは、旦那を始めとした他の男性客や従業員のために、必ず便座を“戻して”出てくれるのである。
トイレを使う客にも色んな人がいる。
便座を上げるのが汚いと言って、下がったまま用を足す男性も多いのだ。
私はすぐに前巡ツモ切ったばかりの※7を持ってきて、やっと自分の粗暴さを知る。
一一⑤⑤⑥⑥⑦4赤566発発 ツモ7 ドラ5
七対子聴牌を逃した。この形、※発のポンテンと七対子の天秤ならば、最初のツモ※7のときにドラ表示牌の※4を切るべきなのである。※7に色気があったのなら尚更だ。
小さなことだが、※7ツモ切りは、確かに熟慮のない一打であった。
ママさんの方を振り返ると、仕方ないね、と優しく微笑んでいた。
女性らしく、細かい部分に気が利くママさんは、即座に私の失着に気付いたのである。
「旦那さんよりしっかりしてるんじゃない?」
麻雀についても周囲がそんな風にママさんをはやし立てると、ママさんは困ったように手を横に振って笑う。
それはもちろん、それを聞いて面白くない旦那を気遣ってのことだ。
旦那も、自宅では便座をわざわざ上げる必要もなく用を足しているのだろう。
私達の生活はこうした誰かの小さな気遣いというものに支えられて、円滑に動いているのである。
便座一つでも、自分の気遣いの足りなさを教えてくれるものなのだ。
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103「小さな気遣い」
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